堤防の先生たち 〜夏の朝に歩きながら、学びながら〜
朝7時、堤防沿いを歩くのがここ最近の習慣だ。
まだ照りつけるほどではない日差しに、蝉の鳴き声が重なる。川の流れはゆっくりで、草の間からバッタが飛び出す。
短パンに帽子、手ぬぐいを首に巻いて、私は今日も“教室の外の授業”に出かける。
すれ違う人たちは、皆それぞれのペースで歩いている。
犬を連れた婦人が「おはようございます」と笑顔で会釈してくださる。
ジョギングする若者は、Tシャツがすでに汗で背中に張りついているが、爽やかな顔つきで挨拶してくれる。
だれも教師ではない。だが皆、何かを教えてくれているように見えるのだ。
特に印象深いのが、ゴミ拾いをしている年配の男性だ。
片手に火ばさみ、もう一方にビニール袋。茂みの中や舗道の隅に目をこらして、黙々とゴミを集めていく。拍手も称賛もない。だけど、その背中からは“言葉にしない誠実さ”が伝わってくる。
私は長年、教壇に立ってきた。声を張り、ホワイトボードに向かい、伝えることを仕事にしてきた。
けれど最近、こう思うようになった。
——生徒たちは、実は“言葉よりも背中”を見て学んでいるのではないか、と。
堤防の先生たちは、何も語らない。けれど、その歩き方や立ち振る舞いが、私に「こうありたい」と思わせてくれる。
教える者である前に、人としての姿勢を整える時間。それが、この夏の堤防ウォーキングだ。
……などと少し格好つけた気分で歩いていたその朝。
白鷺がふわりと川から舞い上がるのを見ていた私は、足元の段差に気づかず盛大につまずいた。
「ぅおっと……!」思わず声が出る。
とそのとき、後ろから...。
「朝から飛んでますね〜。どんまいっす!」と言わんばかり。
振り返ると、高校生が自転車で颯爽と通り抜けていった。
どうやら、今朝の私はちょっとおっちょこちょいだったらしい。
川の流れも、人の声も、蝉の声も——
夏の堤防は、黙って今日も私を“学ばせて”くれる。